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男は酒を沸かして、女は料理

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生まれも育ちも岐阜県飛騨市河合町だという中谷桂次おじいさんは、大正生まれの89歳。

「この辺はみんな農業をする人ばかり。うちもそう。できるだけたくさん米をつくって、それを一年かけて家族みんなで大事にいただいた」

そんな桂次おじいさんに結婚の話が持ち上がったのは、26歳の時。

「当時の結婚は、家族や親戚同士が決めること。わしの嫁さんも気づいたら周りが決めていた。窯に火をくべていた時に父親が寄ってきて、『おい、決まったぞ』って言ってね。ひとつ歳下の女性と聞いて、あの人かなー、この人かなーと知り合いの女性を浮かべてみた。実際には何度か道で挨拶をしたことがある女性だった。それが奥さんになった人」

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それから桂次おじいさんはお嫁さんの家へ挨拶に通い、結婚式の準備を始めたのだそう。

「農家の忙しい時期を避けると結婚式は農閑期の冬にかぎられていた。だから、冬に結婚が決まった人なんかは、次の冬まで待っていたね。寒い12月の日に結婚式をする人がほんとに多かった」

祝言をして、結納、結納返しなどの手順を踏んだ後、結婚式に。

「当時は、何より親戚同士が仲良くいくようにと考えていたもの。最近の結婚式は友だちがたくさん来ているけど、昔は親戚ばかりだったね」

仲人が代表になって自宅の座敷に用意した会場で、三三九度を中心にした人前式が行われ、そのまま宴会へと進む。下座には座抑えと呼ばれる係が座り、トラブルがないようにと目を配る。新郎は自ら酒を沸かし、女性たちが料理つくる。冷え込む冬の日、火鉢や囲炉裏で暖を切らさないようにして。そうしてみんなで役割を手分けして、お祝いの日はつくられました。

「たくさんのごちそうと酒が並び、祝いの席はいつも朝まで続いたね」

一献二献三献、朝まで続く宴

祝いの席では、本膳、二之膳、三之膳と料理が続き、およそ10時間にもおよぶ宴席が行われたのだそう。飛騨に伝わるのは、第二代藩主金森可重の長男で茶道宗和流の始祖である金森宗和が公家武家の料理形式される「本膳料理」と融合されてつくり出したと言われる「宗和流本膳料理」。祝いの席で活躍する宗和好みと呼ばれる黒塗りの椀と膳は、各家庭で親から子へと大切に譲り受けられたもの。

本膳を終えると、二之膳が振る舞われ、歌も始まり本格的な酒宴に。地域の女性が腕を振るったこもどうふや山菜料理、そして料亭から取り寄せたごちそうが並びます。三之膳が始まる頃にはすっかりお酒もまわり、宴はいっそう賑やかに。

おみやげは、藁で包んで

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「膳の上のものは宴会の席で食べて、膳の外のものはみやげに持って帰る。宴会の席に出るのは男ばかり。だから家で待っている妻と子たちにみやげをね。大きな鯛もよく持って帰ったね」。おみやげを包むのに活躍したのが藁。「家に蓄えてある藁をもらって、ひと括りして朴の葉を敷く。そこにごちそうを乗せてこうして留めたら、ほら完成」。そう言いながら、桂次おじいさんはあっという間に藁をより上げ、肩にひょいと引っ掛けてみせてくれました。

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※このストーリーは、岐阜県飛騨市のつくる暮らしを紹介するブック『つくる?飛騨の森で』内にて紹介しています
取材協力:飛騨市役所 企画商工観光部企画課、株式会社トビムシ
取材・文:柿原優紀

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